生成AI技術の台頭、世界中の様々な思惑を持った集団や個人によるフェイク情報の蔓延など、流れてくる情報量の増大に対して人間側の対処が追いつかなくなったことで、多くの人々が漠然とした不安や鬱憤を感じることが増えてきたように思います。
日々のニュースやタイムラインで流れてくる大量の情報に対して、その真偽や信頼性をその都度確認するのは困難ですし、いわゆる「ファクトチェック」の試みはことごとく上手くいっていません。
偽情報を生み出して拡散する労力やコストは情報の精度を確認するよりも圧倒的に低いので、「間違った情報を訂正して回る」という方法論にはそもそも無理があるのです。そういう意味では「重要な補足情報を追加する」という、X(旧Twitter)の『コミュニティーノート機能』は非常に良くできた仕組みだと思います。
このような現状に対処するために、我々は手持ちのリソースを活用し、その範囲内でなんとかしようとしなければいけません。
AIのような外部のツールに頼りっきりになったり、気に入った(信頼できると思い込んでいる)特定の誰かの言説を盲信したり、今現在自分自身が持ち合わせていない能力を身に付けることによってそれに頼ろうと期待するなど、自分自身の外部に解決策を求めるような姿勢は非常に危ういものであると言わざるを得ません。
外部に意見や知識を求めることで大量の情報に対処しようとする行為は、ある情報に別の情報をぶつけてその優劣を感覚的に判断しているだけなので、場合によっては事態をより悪化させることにもなりかねません。
知らず知らずのうちに、囲い込みビジネスや宗教団体に取り込まれてしまう危険性もあるかもしれません。
そんな社会情勢において、「自分自身の中に、知的に安心できるような芯となる思想や哲学を持つことが必要なのではないか?」と、近年強く思うようになりました。
私自身は精神的に貧弱で本当にどうしようもない人間なのですが、これまで学んできたことを活かして培ってきた思想は、ここまで挙げてきた問題に対処するためのヒントになるのではないかと思い、自身の思想を広めるための活動を開始することにしました。
その中でも、最も根本的な思想として以下の二つを挙げておきます。
- 雑多な知識やノウハウを集めてバラバラに覚えていてはキリがないので、まずは少数の原理原則をマスターすべきである
- ただし、原理原則にはそれが成立する固有のスケールがあり、そのスケールを逸脱した領域において同じ原理原則を適用してはならない。
これら二つの視点から分析することで、様々な意見の妥当性を判断することができます。
「その意見の元となっている原理原則はどのようなものなのか?」
「原理原則を適用できる範囲を逸脱していないか?」
この二つを確認するだけでかなり見通しが効くようになると思えば、気持ちも軽くなるのではないでしょうか?
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